古楽夢 ~六拾七~
木曾海道六拾九次之内
恵智川/広重画
恵智川宿の南を近江国第一の大河恵智川が西流していた。この川の北岸から南岸を望んだのがこの絵である。遠方左に見える山は西国三十三所のうち三十二番目の札所観音正寺がある観音寺山であろう。恵智川に架かる橋は、恵智川宿の町人成宮弥次右衛門が藩主に申し出て、他の4人の同志とともに3年の歳月をかけ、天保2年(1831)に完成したものである。彼等は慈善のためにとこの橋の通行料を無賃としたため、この橋は「無賃橋」と呼ばれていた。橋の袂の標柱には「むちんはし はし銭いらす」と記してある。この橋を対岸へ渡って行くのは、刀を2本差しにし、槍持を従えた武士と、着物を着流し、頭陀袋を首から掛けた旅人である。逆にこちらへ渡ってくるのは、荷物を天秤の両端に掛けて運ぶ人足である。手前の堤防の左には深編笠を被り、尺八を袋に入れて腰に差した白装束の虚無僧2人と、右には葛籠を背負い、その上に赤児を乗せた男と、その親につき従う男の子が描かれている。さて中央の赤い上衣を着た派手な女の牛飼は牛の背の叺に何を入れて運んでいるのだろうか。恵智川の南の小幡村では彦根きゃら(蝋と菜種油を原料とする鬢付油の一種)を作って売っていたので、あるいは蠟と考えることはできないであろうか。
小刀の紹介
三つ鱗紋の目貫