古楽夢 ~六拾壱~
木曾海道六拾九次之内
今須/広重画
今須は美濃国における最西端の宿場である。不破郡今須村の西は近江国坂田郡長久寺村で、両村の間に流れる1尺5寸(約50センチ)ばかりの小溝が国境をなしていた。そこには歴として「江濃両国境」を示す傍示杭が立っていた。この国境を挟んで25軒ばかりの集落があった。そのうち近江国に属する20軒では近江詞で話し、貨幣に専ら銀を使っていた。これに対し、美濃国に属する5軒では美濃訛の言葉を話し、貨幣は専ら金を使っていた。こんな僻地にも大坂の銀本位制と、江戸の金本位制が反映されていて興味深い。広重は「江濃両国境」の傍示杭が立つ集落の有様を、近江側から美濃側を眺めて描いている。傍示杭の手前の茶屋を近江屋といい、向こうの茶屋を両国屋といった。近江屋には「仙女香坂本氏」「不破之関屋」と書いた白い看板が掛かっている。前者は白粉の宣伝であり、後者は関ヶ原宿の西にあった古関、不破関を指している。両国屋の茶色の看板に「寝物語由来」とある。1尺5寸しか離れていない家と家に住む近江人と美濃人が、それぞれの家の壁越しに、寝ながらにして隣の他国人と物語をすることができたという由来から、ここを寝物語の里とも呼ぶようになった。旅人の中には傍示杭で国境を確めて行く人もいる。
馬上盃(ばじょうはい)の前立
江戸時代の侍グッズのなかに、乗馬中に水を飲むために携行する馬上盃という柄のついたカップがある。この水飲器の多くは、たいてい小さい柄のついた綰(曲)物の器である。曲物の侍グッズでよく見かけるのは、「馬上盃」という柄をつけた水呑み用の器である。前面に黒漆を塗り、器の両面に家紋を入れたものが多い。兜の前立てにも、馬上盃として使うことができるように工夫されたものがある。水呑み器に長い柄をつけた前立てである。器の内側には赤漆が塗られていて、柄の手元の太くなった部分は、典型的な馬杓の柄のデザインである。柄の太い部分の穴に鹿革のひもがつけられている。
馬上盃
乗馬中に水を飲むために携行する馬上盃という柄のついた水呑み用の器である。