古楽夢 ~六拾~

木曾海道六拾九次之内
関ヶ原/広重画

 関ヶ原の名前は、昔この宿場の西外れにあった不破関に由来し、さらに江戸幕府成立の契機となった関ヶ原の合戦もこの地で行われているので、この宿場が絵の画材となる史跡に事欠いたとは思えない。しかしこの絵にはその片鱗も見られず、平凡な何処にでもある風景となっている。地元の人の話によると、この絵の地形から、これは梨の木川の東にある西町辺から東を向いて描いた絵であろうということであった。さて街道の右側にある藁屋根の茶屋の軒には、「名ぶつさとうもち」の提灯が吊り下り、柱に固定した看板の上部には「三五」、その下には「そばきり うんどん」と書いてある。三五とは広重が描いた絵を東から順に数えてくるとこの絵が35番目に当たることを示している。その他にこの茶屋では傘、扇、草鞋などを売っている。茶屋の前の2台の縁台にはそれぞれ客が腰を下ろし、その中の1人は「さとうもち(牡丹餅)」に箸をつけるところである。2つのお茶を盆に乗せてきた老婆がもう1人の旅人の注文を聞いている。馬を引いた馬子が帰り馬の客を探して茶屋の前をうろうろする。街道を少し行った先に、手拭を頬被りした女が馬2頭を引いて行く。問屋場から割り当てられた役馬を供出しに行くのであろうか。



関ヶ原合戦陣営の紹介





出典:http://blogs.yahoo.co.jp/otyaken_suki69/folder/1031349.html?m=lc&p=2

開戦地は西田運動広場の入り口にあります。関ケ原の戦いで先鋒を任されなかった井伊直政が不服として松平忠吉・井伊直政が抜け駆けして突然発砲。これを機に 関ケ原の戦いが始まりました。