古楽夢 ~五拾六~

岐阻路之駅
河渡 長柄川鵜飼舩/英泉画

 中山道を東からきた旅人達は舟で長柄川(長良川)を渡って河渡宿へ着いた。英泉はこの川で有名な鵜飼の有様を描いている。鵜飼とは鵜が潜水して魚を噛まずに丸呑み(鵜呑み)にする習性を利用した漁法である。すなわち鵜の首を檜縄(鵜縄)で適当に締めて大きな鮎は呑み込んでも喉を通らないようにしておく。そしてその鵜を水中に潜らせ、鮎を呑み込んだ頃に水上へ引き上げて吐き出させるというものである。長柄川の鵜飼の起源は古代に遡るが、江戸時代になると、尾張藩の庇護のもとに、5月から10月まで、雨天を除く、月の出ない暗夜に実施されていた。鵜匠達は船首に取り付けた舟篝の火皿に松明を焚き、川上から川下へ舟を流して行きながら鵜飼をおこなった。舟上の鵜匠達は鵜の身体の周りに絡めた桧縄を握って数羽の鵜を操ると、操られた鵜は篝火に照らし出された水中を泳ぎ回って鮎を呑み込んだ。頃を見図らって鵜匠達は鵜を舟上に引き上げ鮎を吐き出させた。鵜匠達は捕獲した鮎の大半を尾張藩へ上納した。藩はその中の一部を鮎鮨にし、自藩の飛脚を使って東海道経由で江戸まで4日間で運んで将軍家や諸大名へ献上した。長良川の鵜飼を見て俳聖芭蕉は「おもしろうて やがてかなしき 鵜飼かな」と詠んでいる。


枝銭の紹介

貨幣の鋳造方法は、鋳型に銅を流し込み温度が下がった段階で鋳型から取出すのである。鋳型には湯口から伸びる鋳棹がついており、その先に貨幣が鋳造されている。その形が木の枝に似ているので「枝銭」と呼ばれている。

プラモデルのパーツを彷彿とさせられる。鋳造後は鋳棹から切り離し、外側が丸形、内側は四角穴の方孔が一般的で、外側に着いているバリを綺麗に取去ると完成する。


内側の四角い穴はバリを効率よく取る為に、複数個を四角い棒に通し回転しないよう固定して行うことが出来、 これにより研削作業が均一化出来たことが伺える。


枝銭と天保小判五十両包み(左:枝銭 鋳型に銅を流し込み取り出した銭貨が樹枝状なので枝銭と呼ばれる、右:天保小判五十両包み 小判五十両を施封したもので包み紙の上書きが信用されたため開封せずにそのまま使用した 日本銀行貨幣博物館絵葉書から)


又、この穴に貨幣を紐で通した「銭差し」としても使用された。しかし、この鋳造方法であると偽金を造ることも容易で、当時から私銭を造ったものは死刑という重い刑罰が定められている。