古楽夢 ~五拾四~

木曾街道
鵜沼ノ駅 従犬山遠望/英泉画

 この絵は木曾川左岸の丘の上に建つ犬山城と、木曾川越えに鵜沼宿を俯瞰している。鵜沼宿は標高200~300メートルの山地とその東南を流れる木曾川との間の平地に細長く発達した宿場で、この絵には黄色の山麓を回ってその宿場が描かれている。この宿場の南端から犬山まで木曾川を渡る「鵜沼の渡し」があり、この絵にその渡し舟が1艘見えている。さて犬山城の建つ丘は木曾川に臨んで断崖となり、表面は針葉樹や潤葉樹の密林に覆われていた。外部から三層に見えた天守閣(内部は6階)が一番高い本丸に建ち、それから一段ずつ下って二の丸と三の丸と続き、大手門前には堀を超えて城下町に通ずる橋が架かっていた。この丘に最初に城を築いたのは織田信康(信長の叔父)で、天保6年(1537)のことであった。元和3年(1617)からは尾張藩の付家老成瀬家が城主となって幕末まで続いた。天守閣からの見晴らしは素晴らしく、西南には濃尾の大平原を、北には木曾川の洋々たる流れを見下ろすことができた。他方緑の木に覆われた丘に魏然として立つ白色の天守閣を木曾川越しに見上げた眺めも絶景であった。これを見た、儒者荻生徂徠は、李白の詩から白帝城の名を引用して讃辞を贈っている。この城は現存する最古の城とされている。


中山道鵜沼宿

町屋館

町屋館の外観


展示(本陣桜井家宿帳と旅道具他

町屋館の2階


槍と袖がらみ

中山道美濃各務郡鵜沼宿家並図

中山道鵜沼宿町屋館より抜粋