古楽夢 ~五拾壱~

木曾海道六拾九次之内
御嶽/広重画

 御嶽宿は平坦な土地にあったので、山中を思わせるこの絵は、宿場東方の謡坂村にあった十本木の立場の夕暮風景を描いたものであろう。この立場には旅人や人足達が休む立場茶屋が数軒建っていた。薪代さえ払えば泊れる木賃宿は宿場の外れにあるのが通常であったので、広重はここの立場茶屋の1軒を木賃宿に仕立てたものと思われる。宿の前の小川では、老婆が米を水で淅しており、また手拭で頬被りした女が桶に汲んだ水を天秤で運んで行く。宿の障子には「きちん宿」、柱行燈には「御嶽山・御神燈」とある。隣国尾張は御嶽講の盛んな所で、多くの講中がこの宿に泊って登拝に向かったのかも知れない。囲炉裏の周囲は蓆敷で、客達はここで雑魚寝をして行った。宿の主人が囲炉裏で薪を焼べて、自在鈎に掛かった湯釜で湯を沸かしている。旅人達は持参した乾飯にこの湯を加えれば食べることができた。囲炉裏を取り巻いているのは旅僧、旅商人、道場回り、女の巡礼達である。彼女が壁に掛けた管笠には「同行二人」と書かれている。床の縁に腰掛けて草鞋の紐を解いているのは、床に六部笠を置いた六部である。その前を茣蓙を背負い、管笠を手に持ち、施しを受ける時に差し出す柄杓を腰に差した抜け参りの子供が通る。

甲冑師鐔のご紹介


銘:早乙女家忠

早乙女鐔
「銘~早乙女家忠」

二十四間の筋兜を模した早乙女家忠在銘の鐔で四点の鋲と響きの孔をもつ忠実な兜型で、鉄色も素晴らしく江戸時代の甲冑師鐔の頂点と言える鐔です。 発想の面白さは秀逸です。


保存刀装具鑑定書


室町末期当時、「日本最高の甲冑師」と評された人物 明珍信家 がいる。信家が得意としていたのは筋兜とされる。白井城曲輪の青堀近く(松原屋敷と呼ばれる)の鍛冶場跡から永正・天文の頃に信家が甲冑を作成していた事が裏付けられている。越後府中に住んでいた信家にとって白井城は出張先の一つであった。また、信家が寵愛した城主は長尾憲景とされる。伝承上では、明珍家の初代は増田氏とされている。
明珍信家-Wikipediaより抜粋


保存刀装具鑑定書


銘:馬面序政(花押) 保存刀装具鑑定書
場面(ばめん)派は、透鐔に一芸を工夫した序政(つねまさ)の出現で有名である。元来は兜の制作工や鍛冶屋集団で、その起源は戦国時代に遡り、越前国に在住した一族であった。馬面の名称は領主の本多家から与えられた苗字である。序政は寛保元年(一七四一)の生まれで、文化の末~文政初年までの生存を確認出来る。下谷御徒士町に住した。『馬面序政(花押)』と切羽台の左方に銘を切る。
刀剣徳川より抜粋