古楽夢 ~四拾五~
木曾海道六拾九次之内
落合/広重画
これまで木曽路の嶮しい山道を難儀しながら歩いてきた旅人達は、馬籠の先の十曲峠を越えて、急な坂道を下り、前面に開けた平地の中に落合宿を見付けると、まるで我が家に帰ったような気分になったという。いよいよ落合宿からは平坦な美濃路へと入るのである。この絵はその十曲峠から下る坂道を下り切った辺りから、落合川、それに架かる落合橋(別名下桁橋)、橋を渡った先に連なる滝場、御判行坂、落合宿を描いたものである。落合川とは、いずれも恵那山に水源をもつ2つの川がここで落ち合ったために付けられた名前である。この名前が同時に宿場の名前にもなった。落合宿は古代東山道の時代から重要な宿場であり、中山道に駅制が制定される前に豊臣秀吉が草津へ湯治に行く途中ここで一泊している。行く手に立ちはだかる難所の山道を覚悟して、落合宿を早立した小大名の行列が坂を下ってくる。弓持2人と鉄砲持2人が先頭を切って橋を渡る。それに両掛を担いだ中間2人が続く。その後の乗物(高級な駕籠)に大名が乗っている筈である。行列の殿は両掛を担いだ中間、槍を持った中間、竹馬を担いだ中間などである。行列の後にやっと一般の旅人が見える。遠く源氏雲の上に一際高く見える山は恵那山であろう。
早乙女家久の銘の紹介
早乙女家久の銘
家久銘の例
兜鉢の中
学研 図説・戦国甲冑集より抜粋