古楽夢 ~四拾参~

古楽夢(四拾参)

妻籠/広重画

場所を示唆する物象がほとんどないこの絵の中で、唯一街道の左の谷は木曽川まで達しているだろうと仮定してまとめたのが以下の解説である。三渡野から妻籠へ向かうと、神戸と恋野との間に木立の中を通る小さな峠があり、この峠の西の木曽川に臨んで独立して聳えた小峰に妻籠城跡がある。戦国期に使われた山城であったが、大阪の陣(1615)後廃城となった。広重は城山と人が呼ぶこの場所を、南から北を望んで描いている。街道の左の谷は、城の天然の空堀で、これを右回りに辿ると木曽川まで落ちていた。他方街道右の緑の山と、それに続く黄色の山の稜線に沿って土塁が築かれ、それに沿って溝が掘られていた。土地の人はこれを「妻の神の土塁」と呼び、城を守るための土塁であったとも、また鹿や猪が畑などへ入るのを防ぐ猪垣であったともいう。三渡野からきた旅人2人が峠を登ってくる。手前で妻籠へ向かっているのは、白一色の装束で身を固め、六部笠を被り、仏像を入れた厨子を背負った六部である。逆に三渡野へ向かって峠道を登って行くのは両掛荷物を担ぐ人足と、茣蓙と風呂敷包を背負った腰の曲った老人の旅人である。右方の山道では農夫が刈り取った柴を天秤の両端に掛け家路を急いで行く。



日根野頭形兜&越中頭形兜のご紹介

尾長巴紋前立付頭形兜 小山氏所用

下野国の豪族・小山氏所用と伝える頭形兜である。戦国時代の小山氏は秀綱の代に、北関東まで勢力を拡大した小田原北条氏の麾下に属した。

黒漆塗越中頭形兜 高木家伝来 具足付

細川家祐筆頭である高木の兜。鉢は鉄地黒漆塗越中頭形で、眉庇上に一本角元を打ち、前立に黒漆塗の杓子を添える。