古楽夢 ~参拾八~

古楽夢(参拾八)

福し満/広重画

福島宿は江戸から68里半、京都まで67里で、中山道のほぼ中央に位置していた。徳川家康は木曽山中の軍事的経済的重要性に鑑みここを幕府の直轄領とし、関ヶ原の戦で功績のあった木曽氏の遺臣山村氏を木曾代官に登用して山林の管理ならびに福島の関所番に当らせた。ここが尾張藩領になってからも引き続き山村氏が代官職を世襲して関所を預った。このため福島は、宿場町としてばかりでなく、陣屋町としても中山道中指折りの町として繁栄した。ここの関所は東海道の箱根、新居、中山道の碓氷と並ぶ4大関所の一つとして、他関と同様に「入鉄砲と出女」を厳しく取り締まっていた。関所は宿場の江戸方入口の上町から急な坂を登り詰めた所にあった。南北に幅40メートル程の敷地の西端は木曽川に臨む断崖で、天然の要害をなし、また関所の建物の背後は険しい関山が防御していた。また関所の周囲には柵が回らされ、江戸側の東門と京都側の西門はともに冠木門であった。広重は関所の西門から中を覗いた絵を描いている。関所の検問を終えて出てきたのは、人足に荷物を両掛に担せた武家と飛脚である。行き違いに両掛荷物を担いだ供を従えた旅人が関所へ入って行く。奥の建物の前では旅人達が土下座をして検問を受けている。



早乙女派の特徴のご紹介

祓立の筒の上端が鋸型で特徴がある。

祓立の下部が蜻蛉尻のように細い。


早乙女派は明珍派と較べて一見してわかる特徴を持っている

・外観が明珍派のもより優しい
・四天の鋲の位置が明珍派よりやや高い
・前立をつける角本が腰巻のすぐ上にある
・祓立の下部が蜻蛉尻のように細い

・頂辺が明珍派より平らか、やや凹みぎみ
・筋鉢の張留鋲が六十七点で明珍派より多い
・祓立の筒の上端が鋸型で特徴がある
・眉庇は明珍派よりも幅が狭い


・眉庇左右の鷹の羽の食い込みが明珍系より狭い。よって眉庇裏の腰巻に用害の板を用いない。
・鉢裏前中板の頂辺穴近くに必ず、丸座付の止鋲を打つ。