古楽夢 ~参拾参~
本山/広重画
本山宿は、北から南へ行くに従って上る坂道に沿って形成されていた。上り坂は宿場の南外れで終り、それからは緩い下り坂となった、広重はこの外れで、宿場の方向を向いてこの絵を描いている。今宿場を出てきたばかりの旅人が、菅笠を被り、風呂敷包を背負って坂道を上り詰めている。さてこの絵は颱風が去った後の情景であろうか。倒れかけた背の高い松の大木が街道を塞ごうとしているし、路上には風に飛ばされた松葉や松笠が散乱している。すでに伐り倒された別の松の大木には、木樵が2人腰を下ろして焚火で暖をとっている。持参している道具が斧ではなく腰鉈であるところを見ると、大木を伐り倒しに来たのではなく、倒れかけの木が旅人達の通行妨害にならないようにと、突支棒をしにきたともいえる。手前の木樵の脇にある鉈はすでに鞘に収まっており、仕事はもう終わったのであろう。颱風が落してくれた木の枝や葉を楽に集めて、背負った竹籠を一杯にした2人の子供は喜々として家路についている。閑話休題、本山宿の中央西側にある長谷屋が、世にいう「蕎麦切」の発祥地といわれている。それ以前は団子にして食べていた蕎麦を切って食べるようになったので、「蕎麦切」なる語が生まれたという。
総角のご紹介
総角とは中央を石畳に組み、蜻蛉十文字に結んだ紐の事である。普通は紅色の角八打を使い、兜鉢の後ろにある後勝鐶に結わえ付ける。兜鉢の後ろにある後勝鐶は笠標付鐶とも呼ばれ、笠標(小旗)を結ぶために用いられる。笠標は、集団戦に際して敵味方の識別をする為の小さい旗で、室町時代の合戦絵巻にも、それらしきものが描かれている。しかし、これ以前の合戦絵巻には、総角しか描かれていない。この事から総角は単に兜の飾りであったとも考えられる。