古楽夢 ~弐拾四~

古楽夢(弐拾四)

塩なた/広重画

中山道は塩名田宿の西から千曲川を渡って御馬寄村へ入った。「近郷無類の荒川」といわれた難所の千曲川を渡る前に宿場がないと不都合だというわけで、中山道が慶長年間に整備された折、北と南3ヶ村の住民を移転させて形成したのがこの宿場である。そして宿場の千曲川に臨んだ部分を河原宿とも呼んだ。川幅が80メートルにも及んだ千曲川には、何度も近村の農民が駆り出されて橋が架けられたが、大洪水になる度に流され、その数ヶ月間は船渡しとなった。広重は塩名田側の船渡し場風景を描いている。川岸には舟が3艘ばかり繋留してあり、客を対岸へ渡して帰ってきた舟人足3人が何か話を交わしている。褌一つの舟人足にとって、川を吹き渡ってくる寒風は身に鋭く浸みたに違いない。1人はちゃんちゃんこ、1人は木綿の上衣、1人は雨具用の着茣蓙でやっと寒さを凌いでいる。川岸に立った欅の大木の脇には、日除用の葭簀屋根を付けた藁葺の休み茶屋が建っている。主人の姿は描かれていない。天井から吊り下がった自在鉤に大きな薬罐が掛かり、その下で焼べられた火の周りでは舟人足3人がうずくまって身体を温めている。その中の1人は煙管を吸いながら、縁台でやはり煙管を吹かす舟人足とたわいない話に余念がない。



古楽夢(弐拾四)

地名を冠した兜鉢の紹介

その一 小田原鉢 神号刻銘四十二間筋兜 (福井県・藤島神社蔵/重要文化財)筋の間には神号、眉庇には象嵌が施されており、鉢の形にも特徴がみられる。貴重な小田原鉢の遺品である。小田原鉢は極めて短い時期しか製作されていない。相州小田原三代城主・北条氏康から四代の氏政の時代に小田原に居住した明珍系の甲冑師が製作したのが小田原鉢である。小田原鉢の特徴は、鉢の筋立が特異で他に類例を見ない「筋巻込み」という技法で作っている点である。筋巻込みとは「矧板の筋の縁を捻り返し、巻き込んで覆輪に見せる手法」の事である。小田原鉢は、鍛えの良さを前面に出しつつ精微な作風であり、八幡座・篠垂・檜垣などをすべて鍛鉄で作るのも大きな特徴である。兜鉢の形は、室町時代末期の阿古陀形から、戦国時代に流行を見る後勝山形へ移行する過渡期の姿を示している。

学研 図説・戦国甲冑集より抜粋