日本橋より139.9km
刎石山(はねいしやまの)が俯瞰しているような坂本宿。碓氷の関所から10丁ほど。道の中央を流れるのは馬のための用水。宿場町の完成は寛永2年と言われ、付近の住民や安中・高崎藩の領民を移住させて、町割りが行われた。東に碓氷関所、西に中山道の難所・碓氷峠を控えていたため、旅装を解く旅人が多く、飯盛女も置かれて宿場は活気に溢れていた。