古楽夢 ~拾五~
木曾海道六十九次之内
板鼻/英泉画
日本橋より116.6km
さて雪は降り止んだが、 辺り一面は深い雪の中である。光が白い雪に反射しているためか、世界が明るく感じられる。
まだ旅人達の被る菅笠には雪が一面に残り、身を包んだ箕、黒木綿の合羽、茶色の桐油合羽などには、肩の辺りにはまだ雪が溜まっている。馬で行く旅人の菅笠や合羽にも、雪はまだ積もったままである。
平和の使徒・新島襄夫妻と皇女和宮の話
天保十四年(1843)、安中藩士の子として江戸神田に生まれました。
二十一歳で渡米し、キリスト教となり帰国後、父母の住む安中へ帰郷しキリスト教を伝道しました。その後、神戸から京都へ向かい同志社大学を設立し、四十七歳で神奈川県大磯で亡くなりました。この安中は新島襄がまさに十年間にわたるアメリカの苦学を活かして、日本での活動を始める第一歩となった地でございます。
合津藩の砲術師範であった山本権八・さく夫妻の子として誕生。戊辰戦争時には断髪、男装し家芸であった砲術を以って奉仕し、合津若松城籠城戦でも自らスペンサー銃を持って奮戦した。後に「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた。
【皇女和宮】
文久元年(1861)皇女和宮が14代将軍・家茂へ輿入れのため江戸へ 下向の途次、板鼻宿にて文久元年11月10日に宿泊されました。
文久元年(1861)10月20日に京都を出発し11月15日に江戸に
到着しました。中山道を通って江戸への途中、信濃の小坂家で休憩された折、小坂家の写真師が撮影した日本唯一の和宮の写真です。