古楽夢 ~拾参~

古楽夢(拾参)

木曾街道 倉賀野宿
烏川之図/英泉画

日本橋より103.5km

 倉賀野宿は、朝廷の例幣使が通る日光例幣使街道の起点。宿場の南側には烏川が流れ、下流は利根川に流入する。舟でいろいろな物資を江戸に運んだそうです。


昔を語る多胡の古碑ご紹介

多胡碑とは、奈良時代初期の和同四年(711)年に当時の群馬県では14番目の郡の多胡郡として誕生したことを記す記念碑で、日本三古碑の一つです。

他の二碑は栃木県大田原市の「那須国造碑」と宮城県多賀城市の「多賀城碑」があります。日本各地に点在する古代碑のうち、書道史の上からも極めて重要とされている。

多胡碑に使われた書体は今も多くの書家達に愛好され、多胡碑記念館では中国等の拓本が多数展示されています。


多胡碑

多胡碑

拓本

拓本


牛伏山と朝日岳のお話

吉井町のシンボルとして遠くは万葉集にも読まれるほど古くから人々に愛され、山全体が、牛が伏せっているような姿に見えることから、この山の名称が付きました。

我が恋は まさかもかなし 草枕 多胡の入野の 奥もかなしも

「万葉集 東歌」

昔、牛伏山に住む天狗が、里の美しい娘に懸想した。かなわぬ恋に、天狗は娘をやまにしてしまい、牛伏山の脇に貼り付けてしまった。この山は「多胡美人」として地元で親しまれている朝日岳です。

周辺地図

地図


牛伏山は過去に一郷山城という城として、1438年に関東管領であった、「上杉憲実」氏が鎌倉公方であった「足利持氏」氏と争い敗れ、現在の群馬県藤岡市西平井に拠って築城した「平井城」の西方の守りとして、「新堀城」と伴に築城されました。当時は、見晴らしの関係から、のろし台としての任務が主だったそうです。

上信越道吉井ICをご利用の際には立ち寄ってみてください。